彼女ができない男の物語【第1話】父の存在

 
このページに、来てくださりありがとうございます。
 
これから、書くことは私の人生をそのものです。
 
 
ネット上では、向こう側の人かどういう人なのか全くわからないと思います。
 
せっかく、このサイトを読んでくくださっている皆様に自己紹介の意味も込めて、
 
私がどういう人生を歩んできたのかをここに記します。
 
 
 
 
私は、福島県浜通りの山があり、海もあり、あたり一面田んぼだらけな、
 
田舎といったらこんな感じだろうという、ザ田舎で育った。
 
 
家族は父、母、兄、じいちゃん、ばあちゃんと私の6人暮らし。
 
父は、青果市場で部長として、スーパーや八百屋に果物と野菜を届ける仕事で一生懸命働いていた
 
外回りの営業をしていたので、社交的で、誰とでも仲良く、明るい父だった。
 
 
でも、好きか?嫌いか?と言われれば好きとは言えなかった。
 
 
夫婦の喧嘩も絶えないし、酒癖が悪いところ、子供の前でタバコをガンガン吸うこういうところは嫌いだった。
 
父は酒を飲んで帰ってくることが多かった。
 
 
酒を飲んできたときは、いつもの父では無くなっていて、いつもイライラしていた。
 
そんなときに、学校のテストの点数が悪いときは、夜中なのに起こされよく説教をくらった。
 
父は昔頭が良くて、家庭教師をしていたと聞いたときがあった。
 
 
そうか、だからか。
 
 
自分がやってきたことを、子供にも押し付ける。
 
自分ができたように、自分の子供がそれをできないのがたまらなかったのだろう。
 
 
そこまで、悪い点数ではない。
 
むしろ、平均より上。
 
 
でも、父の中では、それは許せなかったのだ。
 
 
「マサヤなんだこの点数は!ふざけんじゃねぇぞ!」
 
 
という、かなり強い言葉。
 
小学校のときの私には、その言葉は強すぎた。
 
 
私は、何も言い訳はせず、
 
 
「早く終わってくれ」
 
 
と、ただ時間が過ぎるのを待っていた。
 
 
この30分は地獄の時間。
 
 
父の感情が高まったときは、暴力もあった。
 
これは、ほんと痛かった。
 
たくさん、泣いたりもした。
 
もはや、意味がわからなかった。
 
 
酔っているときは、できれば近づきたくない。
 
また、なんて言われるかわからない。
 
 
どうしても、父が怖くて避けてしまう自分がいた。
 
小学校のころの私は、そんな父を好きになれるはずがなかった。
 
 
ごめんなさい。
 
やっぱり、正直言うと大嫌いでした。
 
 
兼業農家だった家は、苗を植える時期、米を収穫する時期になると家族全員で協力し合ってやっていた。
 
今思えば、父は本業をしながら、5つの田んぼの管理をしていたので、ほんとすごいなと思う。
 
 
そういうことは、社会に出て揉まれないとわからない。
 
お金を稼ぐということの大変さ。
 
 
自分の仕事の責任。
 
職場の人間関係。
 
 
社会に出ると、いろんな困難にぶち当たる。
 
それを一つ一つ乗り越えて今がある。
 
 
子供のころは、こういうこともわからなかったから、父を尊敬できていなかった。
 
 
今なら、すごく尊敬できる。
 
 
父がなんで、その仕事をしているのか?
 
今まで、どの瞬間が1番楽しかったのか?どんなときが辛かったのか?
 
 
母との思い出話とか、聞きたいことが、たくさんある。
 
 
そして、1番聞きたかったこと「なんで俺にそんなに厳しかったのか?」
 
 
でも、もう聞くことはできない。
 
なぜなら、もう父は、この世にはいないのだから。
 
 
 
5年前・・・父は自らこの世を去る道を選んでしまったのだ。
 
 
父さん、もっと腹を割って話したかったよ・・・。
 
 
第2話へ続く。
 
 
 

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